中平龍二郎氏(武揚堂OB) 「地図で楽しむ一人旅」

第5回 大山街道のガイド作成(その3)


3年前の春、風人社と言う出版社の社長と鷺沼の喫茶店で面談した。規模は小さいが真面目な本を出版している会社である。
数年前にお会いした時、バス乗り・切手蒐集・地名・街道の話をしたことがある。

 

バス乗りは20年程前からはじめたもので、関東地方の北部の山間地を除いて殆ど完走した。
私にとってバス乗りは正に一石二鳥であった。
目的の一つはバスに乗って未知の世界を見ること、もう一つは地名採集であった。
バス停には昔の字名がそのまま残されているケースが多い。また、停留所に近づくに従い車内放送が名称を読みあげてくれる。
お蔭で地図に記載されていない地名を採集することができた。

 

切手は小学校1年生頃から蒐集し、相当集まっている。外国旅行をすると滞在日の半数ほどを切手屋に通い、そのため家族のひんしゅくを買っている。

 

街道の話は大山街道について体験談を話した記憶がある。
久し振りの再会であったが、大山街道の本を書かないかと言われ面食らった。大山街道は国道246号とほぼ並走する道路であり、鉄道が川崎から小田原まで開通するまでは重要な道路であった。
沿道には宿場・渡し場なども置かれ、豪商・豪農も多かった。今も伝統を残す道であり、各地に街道の歴史に精通した方が多い。
慌てて辞退したが、地図をテーマにした本にするからと言うのでお引受けした。

 

大山街道は江戸時代に整備された道路であり、港区の赤坂御門から大山山頂の間を結んでいる信仰の道である。しかし、幕末からは大山詣でに便乗した遊興が目的になっていた。
この大山街道は沼津方面から江戸を結ぶ矢倉沢往還と多くの区間で重なるものであった。
伊勢原で右に入ると大山へ、直進すると矢倉沢往還を通り足柄峠を越えて御殿場・沼津方面に達する道路で、東海道の脇往還として発達した。
東海道は参勤交代や武士の往来などに使われた政治的な道路であったが、矢倉沢往還(大山街道)は伊豆・駿河方面から海産物・茶などを、また、相模国(神奈川県)内からは煙草・生糸・野菜・炭・鮎などを江戸に運ぶ商業的な要素が強い道路であった。

 

旧大山道石標(池尻稲荷前)。中平氏提供

 

8月末に私は社長を案内して、川崎市高津区の二子新地から長津田までの間の大山街道を歩いた。
距離は18kmほどであるから地図を見ながら歩くには適していたが、曇天の割に大変蒸し暑かったことを憶えている。
1万分の1地形図「自由ヶ丘」「溝口」「鷺沼」「荏田」「青葉台」を使用したが、立場(休憩所)・店・石造物のチェックには縮尺1,500分の1住宅地図を利用した。
地形図を眺めながら歩き本の構想を考えた。地図が苦手な人にも読んで頂くにはどうすれば良いか。

 

私は市民活動の一環として地図を持って歩く機会が多い。その場合、圧倒的に多いのは地図上の何処に今自分が立っているのか解らない人が多いことである。
地形図上で現在位置を指摘できる人は、登山家をはじめ地形図を使うことに慣れた人である。

 

地形図は測量に基づく正確な地図であるが、一般図であり主題図ではないため、地形を除いては散策用の情報がほとんどない。
坂が急か緩いかなどの情報は等高線を見れば解るが、地形図に親しんでいない方には殆ど無理な注文である。
途中、神社・寺院に寄ったり、石造物を眺めたりしながら歩いたため6時間ほどで長津田に着いた。
横浜市青葉区荏田では崖が夏草に覆われ、庚申塔を探すのに一苦労した。

 

長津田下宿の常夜灯。中平氏提供