中平龍二郎氏(武揚堂OB) 「地図で楽しむ一人旅」

第3回 大山街道のガイド作成(その1)


私が大山街道を歩いたのはおよそ25年以上前になる。もっとも、その旧道が大山街道と知ったのはそれから数年後である。当時、私は武蔵野市から川崎市に移転して来たが、休日になると子供を連れて宮前区から港北区(現港北ニュータウン)周辺を5万分の1土地利用図や2・5万分の1地形図を持って歩いていた。
川崎・横浜市境にある牛久保から老馬谷(ろうばやと)にかけては樹林に覆われた小丘陵が続き、畑地の中に藁屋根の農家が散在し、麓には谷戸田も開かれていた。里山風景そのものが残されている地域であり、特に、欅・山芋の黄葉は素晴らしかった。

 

 現在の大山街道(都筑区牛久保町で。中平氏提供)

数年後、港北ニュータウンの開発が始まり、散策する度に自然が壊される光景を眼のあたりにし、悲しさがこみあげるようになり訪ねることを止めた。後にこの道が大山街道であることを知り写真撮影をしなかったことを大いに悔やんだ。
その後、川崎市宮前区・高津区・中原区と横浜市港北区(現都筑区・青葉区)辺りを歩いた。健康のためとか、歴史や地理を勉強するためではない。ただ、地図を持って各地域を観察した。未知の世界を歩くのは楽しいものだ。

鉄道や国道沿いは都市開発が進み金融機関・大型店舗・お洒落な料理店・喫茶店などが並んでいるが、そこから500mも離れると雑木林・竹林・畑などが散在し、昔あった農村風景が残されていた。
明治中期頃まで存在した村境を中心に庚申塔・馬頭観音・地蔵尊などの石造物が見られた。発見した石造物は2・5万分の1地形図に記載した。その位置確認には住宅地図を参考にすることもあった。

その後、1万分の1地形図が順次発行されるようになり、この地図が必需品になった。この散策の結果、これらの地域をより深く知り理解することができた。平成13年に宮前区が発行した「宮前歴史ガイド」の調査に役立った。
自宅が大山街道沿いに移転してからは本格的に大山街道の探訪をはじめた。それまでは断片的に池尻・三軒茶屋(世田谷区)、溝口・宮前区(川崎市)、牛久保・荏田(横浜市都筑区・青葉区)、長津田(横浜市緑区)、大山(伊勢原市)などを歩いていた。

明治10年代の陸地測量部作成2万分の1迅速測図に表示されている大山街道を、国土地理院発行の1万分1地形図上に記入した。青葉台(横浜市青葉区)と伊勢原西部は未発行のため、町田市・伊勢原市役所に赴き該当市が発行した1万分の1地形図(白地図)を購入した。
なお、迅速測図は千代田区九段の合同庁舎にある国土地理院関東地方測量部で検索し、コピーしたものを購入して揃えた。現在の地形図と比較すると大山街道は消滅している区間があった。
特に、川崎市宮前区、横浜市青葉区のように大規模な都市開発が行われた地域の道路は激変していた。しかしながら、旧図から新図に街道を記載する作業は新しい発見があり興奮の連続であった。