地形図の歴史・生い立ち
2.わが国の近代地形図の生い立ち機〔声s嫐栖

 

江戸時代後期の1800年から伊能忠敬によって十次におよぶ全国の測量が行われて、没後の1821年に「大日本沿海輿地全図」としてわが国の正確な海岸線と調査済み街道筋に沿った地形図が幕府に上程され完成に至りました。
この後、明治新政府になって、当初いろいろな役所に測量・地図作成部門ができ、それぞれの立場で地形図及び関連成果が作成・刊行されました。その後、こ れらの分散されて設立された部門が徐々に整備・統合され、地形図作成は、主に陸軍参謀本部によって行われるようになりました。明治黎明期から前半の国の主 な地図作成機関とその刊行物、その他関連事項は以下のとおりです。

 

明治2(1869)年 民部省に戸籍地図掛が置かれました。
明治3年 民部省に地理司設置。工部省都市部は都市の実測図作成着手。
明治4年 兵部省陸軍部参謀局に間諜隊諜報掛を設置し地理偵察、地図編集開始。同年の民部省廃止に伴い、大蔵省地理課に地理司を移管。工部省に測量司を設置し全国三角測量をめざす。兵部省海軍部水路局設置。
明治5年 工部省測量司が日本初の三角測量を実施。兵部省を廃止し陸軍省と海軍省となり、間諜隊は陸軍参謀局へ移管。太政官正院に地誌課を設置。海軍は東京麻布に海軍観象台を設置し経緯度測定開始。
明治6年 北海道開拓使が三角測量を実施。内務省設立。伊能図を編纂し銅版による「大日本全図」を刊行。同年皇居火災により伊能図を焼失。
明治7年 太政官正院地誌課「日本地誌提要」刊行。参謀局に地図政誌課と測量課設置。太政官地誌課の業務を内務省に移管。 内務省に測量司、地理寮設置。参謀局「皇国各地経緯度表」、「清国渤海地方図」、「陸軍上海地図」刊行。
明治8年 参謀局「清国北京全図」、「朝鮮国全図」、「亜細亜東部輿地図」刊行。内務省関八州(関東の相模、武蔵、安房、上総、下総、常陸、上野、下野の八ヶ国)で大三角測量開始。内務省東京−塩竃間精密水準測量実施。内務省地理寮に土石課設置。東京近傍局地図測図のため参謀局外業着手。
明治9年 参謀局、東京五千分一測図に着手
明治10年 参謀局、西南の役により西海道全図(後に九州全図21万6千分の1)着手、迅速測図班編成、戦地で軍用地図作成、いずれも伊能図や幕府の国絵図などの資料を利用して編集されており、地図作成が大きく進捗することとなる。参謀局「大日本全図」「西海道全図」「九州全図」「熊本近傍図」「薩摩大隅日向三国図」な ど刊行、内務省地理寮を地理局と改称、地理局「上野公園地実測図」(2,500分の1)刊行。文部省「日本全図」刊行。
明治11年 地理局「東京実測全図」(4万3千分の1)、「実測畿内全図」(21万6千分の1)などの地方図刊行。参謀局を廃止し参謀本部とし、地図課・測量課を設置。地理局木石課は山林課を経て地質課(地質調査所の前身)となる。
明治12年 参謀本部「全国測量・全国地図作製の基礎計画」を策定、軍管区図作製開始。
明治13年 参謀本部正式な三角測量によらない迅速測図方式で「第一軍管区地方二万分一迅速測図」(迅速測図二万分一ケバ式)作製開始、「測地概則小地測量ノ部」制定、「兵要測量軌典」編纂、大地測量事業取調掛を設置、全国測量に着手(測定概則制定、地形測図手の教育開始)、関東地方で迅速測図作業開始。地理局、伊能図を基に160万分1日本全国輿地図を作成。内務省大日本国全図刊行。
明治14年 陸軍最初の三角測量実施(東京湾口)。地理局「測絵図譜」(2万5千分1)を完成、最初の官製地図帳である大日本府県分割図(86万4千分の1)、横浜実測図(五千分の1)刊行。
明治15年 参謀本部地図作製方式をフランス式からドイツ式に変更(17年実施)、三角測量法を採用、相模野で最初の基線測量、大地測量班を新設。
明治16年 参謀本部一等水準測量開始、「五千分の一東京図」完成、測量課に大地測量部(三角)、小地測量部(地形)を設置、最初の三角測量(一等三角選点、造標、観 測、二等・三等三角測量)を相武駿上総州で実施、一等水準測量開始、「三角測量説約」「大地測量学講本」などを刊行、大地測量方式が完成。地理局、三方原で第二次基線測量、埋石を実施。地理局、同年から翌年にかけて詳細な5千分の1東京図の測量を実施。
明治17年 参謀本部地図課・測量課を併合し測量局設置、大三角測量を内務省から参謀本部測量局に移管、経緯度原点決定、東京湾中等潮位決定、「輯製二十万分一図」着手 (伊能中図を基本とし、天保国絵図などで補正して作成。明治26年に完成)。地図課、三角測量課、地形測量課を設置、二万分一準正式地形図(仮製地形図) 着手。ワシントン万国子午線(測地)会議、グリニッジ子午線を本初子午線に決定(反対側の経度180度は海上で都合がよく、国際日付変更線が設けられ た)。内務省、同年から京阪神の平野部の準正式地形図作成開始。
明治18年 参謀本部測量局「二万分一正式地形図」作製開始。明治18年式図式制定。
明治19年 海軍観象台(東京麻布)経度決定、日本標準時決定。10万分1帝国図式作成開始。内務省地理局実測全図(5千分の1)刊行(銅板彫刻による精緻な地図)。
明治21年 陸地測量部条例公布(勅令)により 参謀本部測量局が独立して陸地測量部となる。陸地測量部「十万分一帝国図」着手。内務省「五千分一東京実測図」刊行。